『テヘランでロリータを読む』──文学と「チャドルと生きる」女性たち。
米国政府の“悪の枢軸”発言やアフマディーネジャード大統領の核開発続行声明などで、この国の報道番組ではすっかりヒールとして定着してしまったイランという国──。ですが、映画ではアッバス・キアロスタミ監督の「オリーブの林を抜けて」やマジッド・マジディ監督「運動靴と赤い金魚
」をあげるまでもなく、ここ10数年すばらしい作品をつくり続けています。
生身の人間の言葉、仕草・・・感情の表出がていねいに描かれていて、ヨーロッパ映画が好きな私にはたまりません。とくに、ジャファール・パナヒ監督作品「チャドルと生きる」は革命後のイラン女性の行き場のない日常を、わずか半日ほどの物語に閉じ込めて秀逸です。sarasayajpさんのブログ「イランという国で」によると、欧州で評価の高い作品は国内ではあまり人気がないようですが・・・。また政府による検閲がきびしく、体制批判ととられないように子どもを主人公にした作品が多いという指摘もありますが・・・。
イラン出身で、現在は米国在住の女性(!)英文学者アーザル・ナフィーシー氏の『テヘランでロリータを読む』は、しばらく各書店のベストセラーコーナーに並んでいましたから、ご存じの方も多いと思います。米国でも、たとえば「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリストには2年以上ランクインしていたというロングセラー。当然のことながらイラン国内では発売禁止、だそうです。
著者はテヘラン大学を辞職後、自宅にお気に入りの女子学生たちを集めて、国内で禁じられている西洋文学を読む秘密の読書会をはじめます。と書くと、いわゆる文学評論の類と思われがちですが・・・。そこには「チャドルと生きる」と共通する、著者を含めたイラン女性たちの圧政のもとでの生活と、表立っては語られない言葉の噴出が描かれています。そうした日常に、イラン・イラク戦争によるテヘラン空爆という現代史がはさみ込まれて、さらにスリリングです。
それにしても、この作品から容易に想像されるイランの男性像が、ブッシュ政権内にあまたいるらしいキリスト教原理主義者や、私たちの国の保守層の少なからぬ人びとに重なるように思えるのは偶然でしょうか──。ちなみに、イランの革命記念日は日本の建国記念日と同じ2月11日ですが、これは関係ありませんね。
| 固定リンク
「Book」カテゴリの記事
- 「スラムドッグ$ミリオネア」の原作『ぼくと1ルピーの神様』で出題された13問。(2009.03.01)
- 『家族をつくった家』──暮らしをとびきり楽しくするための記憶(2009.02.08)
- ビーケーワン「書評の鉄人」に選ばれる。(2009.01.17)
- 正しいことを言うときは──。(2008.11.24)
- 創作と性急の間で。(2008.11.03)
「Cinema」カテゴリの記事
- 「スラムドッグ$ミリオネア」の原作『ぼくと1ルピーの神様』で出題された13問。(2009.03.01)
- 往年の輝きをとり戻して、観るものに勇気をあたえた──オスカー・ナイト。(2009.02.23)
- 創作と性急の間で。(2008.11.03)
- 「ベルリン・フィルと子どもたち」──真冬のベルリンに、子どもたちが描いた“春”。(2007.05.16)
- 『テヘランでロリータを読む』──文学と「チャドルと生きる」女性たち。(2007.05.23)






コメント
gaikokueigaさん、トラックバックありがとうございました。
私が初めて観たイラン映画は、キアロスタミ監督の「オリーブの林をぬけて」でした。ラストのロングショットの美しさは皆さんが指摘されますが、何かとても懐かしいものを見せてもらった気がしました。それは、河瀬直美監督が97年のカンヌで日本人初のカメラ・ドールを受賞した作品「萌の朱雀」にも通ずるものなのでしょう。
各国からリメイク権を買いあさっている最近のハリウッド映画から、画像処理と音響効果をのぞいたら何も残らないのではないか、なかば本気で思っています。あれだけの制作費をつぎ込めば、やはりその回収を考えますからね。それで、できるだけ多くの人びと(そこに日本人の占める割合はきわめて高いと思います)にうける作品にしようとする・・・ハリウッドよ、どこへ行く?
この文脈ばかりに慣れてしまうと、他国の映画が観にくいなどというヘンな状況に陥りがちです。くれぐれも、皆様ご用心・・・笑。
長男である私は、「運動靴と赤い金魚」の主人公──気弱でつぶらな瞳の少年の姿に自らをダブらせようとしましたが、生意気で双子のように育った弟が浮かんで果たせませんでした・・・汗。マジディ監督作品は「少女の髪どめ」以降、日本に配給されていない(と思う)ので、最近作の公開を望みます。
投稿: 四月の旅人 | 2007/06/13 10:29