« アラン・デュカスとみる夢──ベージュ東京。 | トップページ | YouTubeでちょっと観てみる? 21世紀フランスのアクション映画。 »

幻の東京万博──常に夢をひき裂くもの。

Photo1940年春から夏にかけて、日本で初めての万博が開催されるはずだったことをご存じだろうか──。メイン会場は東京・晴海。紀元2600年という今やほとんど忘れさられた年を記念し、国をあげてとり組んだ一大イベントであった。

明治初期の東京湾は水深が浅く、首都にも関わらず大型船舶は寄港できなかった。そこで湾の底を浚渫し、その土砂によって現在の埋立地が形成されていく──佃島や月島の誕生である。

築地と月島の間は渡し舟が結ぶようになるが、これが日露戦争の祝勝ムードとともに「勝鬨の渡し」と称されるようになる。そう、それが現在の「勝鬨橋」という名称に引き継がれる。

40年に開通し、70年まで大型船舶も航行できた開閉式の橋はまさに“東京万博”のメイン・エントランスであった。すでに入場券も発売され(愛・地球博でも使用できた!)会場の建設も進められていたが、中国との戦線拡大にともなって無期延期されることになる。

私がこの“幻の万博”に興味を持つようになったのは、亡父の法事の際に叔父・叔母が語った次のような言葉だった。「兄さんは戦前の万博でコンペをとっていたんだよね」。それまで一度も聞いたことのなかった、若き建築家の仕事をいつか調べてみたいと思った。

いま中央区のタイムドーム明石で「幻の万国博覧会 月島四号地(晴海)の万博計画とその背景」が上映されている(8月31日まで)。観てきたが、ざっと歴史をなぞるだけで30分の映像に父の姿があるはずもなかった。

Photo_2同じ年、東京五輪も予定されていた。私の高校時代の体育教師が、当時のサッカー日本代表のゴールキーパーだったことは卒業後に知る。「全国高校サッカー」の開会式を映すTVモニターが、開会宣言をする彼の姿をしっかりととらえていた。

ソ連のアフガン侵攻にともなって、西側諸国がモスクワ五輪をボイコットした際の日本代表選手たちの涙は、少し色あせてきただろうか。戦前の万博と五輪に関わった多くの人びとの夢を根こそぎにしたものとともに、私たちはくり返し思い起こさねばならない。

もうすぐ、鎮魂の季節がはじまる──。

|

« アラン・デュカスとみる夢──ベージュ東京。 | トップページ | YouTubeでちょっと観てみる? 21世紀フランスのアクション映画。 »

Science」カテゴリの記事

コメント

初めてお邪魔します。私は編集プロダクション、アーク・コミュニケーションズという会社で、昭和15年に開催予定されながら戦争のために昭和13年7月に中止になった、幻の五輪・万博についての本の制作準備を3年前から行っております。今回、管理人様のブログを拝読させていただき、管理人さまのお父様が真万博のコンペを通った・・・という記述を読んで、何か幻の万博にちなんだ知られざる事実があれば・・・と思い、ご連絡致しました。管理人さまのお父様がコンペをとった・・・というのは、万博のメインパビリオンとなるはずだった「肇国記念館」のことでしょうか? もし、何かそれにまつわる資料などがあれば、(株)アーク・コミュニケーションズの夫馬(フマ)信一あてに、以下の連絡先まで電話やファックス、またはメールでご連絡いただければ助かります。〒162-0843 東京都新宿区市谷田町2-23 第2三幸ビル3F TEL.03-5261-2628/FAX.03-5261-1061 よろしくお願い致します。

投稿: 夫馬信一 | 2008/06/14 21:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/102151/15914733

この記事へのトラックバック一覧です: 幻の東京万博──常に夢をひき裂くもの。:

« アラン・デュカスとみる夢──ベージュ東京。 | トップページ | YouTubeでちょっと観てみる? 21世紀フランスのアクション映画。 »