教員採用試験をめぐる冒険。
20年ほど前、受験された方ならどなたでもご存じの出版社に、しばらく在籍したことがある。(こちらの取材も、ここにいたときだった。)報道されているように試験問題は公表されていないので、社員総出で各都道府県に出向いて試験を終えた方からヒアリングをする。
私の担当は宮崎県と・・・大分県だった。
宮崎空港でレンタカーを借りると、主な大学(教科書もつくっていた)や書店を回ったあと受験会場へ。出口でヒアリングに応じていただける方を何人かゲットして、近くの喫茶店でどんな問題が出たのかお聞きした。5,000円程度の謝礼をお渡ししただろうか。
この出版社が数かずの問題を抱えていることは、しばしば指摘されている。こんなシステムではわずか数問しか復元できないのに、それを「00年版実施問題集」として出版していた。しかし、もっとひどいのは参考書のほうで、天地と小口(背表紙の反対側)を削って新しいカバーを巻いて「00年版」の新刊として書店に並べた。
それで、同じシリーズでも削った回数により、微妙に高さが異なっていたりする。ひどいでしょ。(※あくまで、20年前の情報である。)
社員の勤務状況もひどいものだった。昼夜も土日もなく働かされ、それほどハードなほうではなかった私でも月の残業時間は130時間程度、300時間などという人もいた。それで、身体を壊して退社する。経営者が横暴で退社する。3年もするとほとんどすべての社員が入れ替わった。
夜、自らの運転で大分へ移動。海外沿いを走る国道10号線は、延岡を過ぎると内陸部に入る。夜更けの道には後続車も対向車も街灯もほとんどなく、最初に訪れたときはかなり心細かった(汗)。大分市内の灯が見えてきたときには、心の底からホッとした。
東九州自動車道などない時代に、6時間かかると言われた道のりを4時間あまりで疾走した。
この出版社の発行する月刊誌が、やけに志の高かった時期がある。(それゆえ、受験にはあまり役立たない・・・)そう、私が編集を担当していたときだ(汗)。編集方針でぶつかって、あっという間に別の部署に異動させられたが。
大分でも同じようなスケジュール──。最後の夜は、ホテルの近くのバーに行く。「いつまででもキープしておきますよ」と言われ、ボトル(この頃はバーボンか?)をオーダーした。しかし、3度目に訪れたときには、すでに閉店していた(涙)。
県庁に勤務していた、大学時代の友人を訪ねたことがある。歩いても通える距離に、一戸建て住宅を構えていた・・・羨。
帰途は、国東半島にある大分空港から。別府湾を右手に見ながら高崎山の麓を走る道は、別府大分毎日マラソンでおなじみだ。TVでレースの模様を見るたびに、懐かしく思い出す。
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